“ALT.H.(Alternate History)”。バスケットボールに歴史があるように、ストリートボールにも数々の歴史や伝説が存在する。まだ誰も知らない路地裏の物語を少しずつ紹介していくのが、この“ALT.H.”。
今回は1990年代、日本が空前の“ストバスブーム”にすっぽりとはまり込んだあの時代を知るストリート・レジェンドたちが、夜な夜な当時を回想しているというファミレスに潜入した。瞬く間に燃え上がり、そして消えていった日本のストバスブームの輪郭をなぞる連載「Japanese Streetball Legend」の第2弾。
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前回からつづく)
E:で、この辺りからSBCが冠にMXTVをつけて“MX CUP”になるんだよな。それで毎週テレビ番組をやって。
A:“ストバスフリーク”っていうやつな。
E:たぶん開設と同時じゃないかな、MXTVの。
G:そうそうそう。
E:毎月大会やって、それを毎週放送してたよね、ダイジェストに分けてさ。
G:オレらもよく出てましたもんね、「ストバス、フリークっ!!」って。
E:あと、ここら辺で“愛ラブSMAP”でSMAPが3ON3やってた。
G:んー!! テレ東で。たしかこのとき“シュウさん”が…。
E:あのときのストバスのMCといえば全部シュウさんだったよね、SBCもシュウさん。あと、6チャンネルの深夜番組でもストバスやってたな、としまえんで。半年か1年ぐらい続いたんじゃない。ホント、3ON3が認められてた時代だな。
A:あとNHKも大会やってたよ。すごいよね。しかも、スポンサーはみんな銀行だし。
K:すごかったですよね、アレ。なんだったんだろう。みんな遊んでたんでしょうね。
A:そんなんだよな、バブルだからさ、時代は。あんときオレらも運営とかやってればな、儲かったのに。
E:あと、ストリートの雑誌が3ヶ月に1回とかのスパンで出てた。それがたしか、4回ぐらい続いたかな。どんどん自然となくなってっちゃったけど…。ちょうどいい感じにこの頃がエア・ジョーダンブームで、バッシュが流行った頃なんだよ。スニーカーブームとストバスブームがうまくリンク出来てた。インターネットなんてないからさ、みんな情報が欲しくて雑誌買ってたよ、ストバス雑誌。時代がうまくはまってたんだ、金もあったし。
A:オレなんか靴から入ったからね。
E:そんで、こんぐらいからどんどんどんどんと、減ってくる。過渡期だね。何年ぐらいの話?
A:97年ぐらいじゃない。たぶん、スラムダンクが終わってとかだよ。
E:NIKEとかはまだ何とか年1ぐらいでは3ON3やってて、この頃“モリ”とかが出てきたんだよ。
A:国際展示場とかでな、アフロのヅラ被って出たよな、準決勝とか。
E:ずれちゃうっていう。
A:オレ。やりづらくてすぐ投げたもん。
E:アフロコールが起きたりして。
K:そんで、もう次は“B-BOY PARK”とかですかね。
A:そうね、あと“ヨコスカ”もずっとやってたな。
E:そうだよねぇ……。でも何でだろ。2000年ぐらいにぱったりなくなったんだよな……。
次回へつづく…
(この記事は2005年10月に書かれたものです / ALLDAY MAGAZINE VOL2掲載)